My Story, My Walkman

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銀座ソニーパークで開催中の「WALKMAN IN THE PARK」内の展示「My Story, My Walkman」、想像の10倍くらいよかった。

人間が音楽を持ち運ぶために、こうして何十年も技術が進化し続けてきたこと、それが音楽マニアだけでなく、いろんなレベルの音楽好きたちの日常に溶け込んできたことにぐっときてしまった。

わたしは音楽マニアじゃないし、ただただその時ハマってた音楽をちょこちょこ聴いてただけなんだけど、ウォークマンの再生ボタンを指で押して、現実以外に救いを求めたことって、これまで何千回あったんだろう。コクッと押すと、ピッて音がして、脳が求めてた音がどばっっと流れ込んでくる、あのかんじ。ポータブルミュージックプレイヤーを使ってきた人の身体に、色濃く残っている体験なんじゃないかなって思う。

 

展示にウォークマンの取説類はなく、古い機種とかだと、「再生ボタンこれ…よね?」ってくらいわからんのだけど、取説の通りに操作するんじゃ得られないデバイスとの対話がある。無事音楽が流れ出すと、その耳慣れない音質を心地よく、あるいはすこし不快に感じたりしつつ、その生感のあるコミュニケーションがうれしい。

 

そしてなんか、なつかしい。

なんかさ、携帯ってもう、味方なんだか敵なんだかわからないでしょう。勝手に頼んでもないものおすすめしてきたり、インカメラがハックされて自分の顔のデータがとられているかもしれない。お金を払って購入したのはわたしなのに、ぜんぜんわたしの支配下にないっていうか、裏切られてるかもしれないっていう恐れがずっとある。

でもウォークマンってそういうことないんだよ。愛する音楽のためだけの、それしかできない機械だったんだよね(今はきっとネットとかも使えるんだろうけど)。ずっと、わたしを救ってくれるだけの圧倒的味方だったんだよなあ。

 

みんなが音楽のためだけにあの機械を数万で買って、持ち運んで、有線でイヤホンを引っ張って…って、していたことのすごさよ。もちろんいま、別にiPhoneで聞ければいいよね、聴く曲もサブスクでいいよね、って流れになっていることに一ミリもマイナスの感情はないけど(わたしもそうなっちゃってるし)、でも、私の中には、あの再生ボタンの「コクッ」と、ウォークマンの味方感がずっと残ってるんだな、って気づいて、うれしかった。ウォークマンほしくなっちゃった。