という散文

 

散文、つらつら書けば書くほどずれてしまうの、たぶんわたしの頭の中が、いつもあんまり上手に言葉になってないからなんだと思うの。

 

じゃあ、なにで保存してあるんですかって聞かれたら困っちゃうんですけど。困っちゃうね。おんなじ理由でおしゃべりもへたっぴ。けろっぴー。

 

なんかさ、人間って書くときも話すときも、一字ずつなんだよね。びっくりする。すごいむずかしいなと思うの。

 

普通のおしゃべりって、ぽろぽろ何かを意識することなく話すじゃない。一字ずつぽろぽろ音をこぼしながらそれを一本の線にして、文章にしなくちゃいけない。

 

頭の中なんていろんな情報や気持ちの海なのに、アウトプットは1トピックずつを1字ずつ。気が遠くなるよ。まだ書くときはさ、何度でも戻れるし、順番逆にしたり、時間かければやりたい放題だけど、しゃべるって基本的に一発勝負だから、とんでもない単語出しちゃうと一気に理解から遠ざかる。こわいね。みんなきょとんとしちゃってさ。「撤退」って思うよ。向いてない。

 

仕事の原稿じゃないちょろっとした散文をつらつら書こうとすると、本当に読めない文章になっちゃうの。話が自然に変わっている。直すのが面倒だから、公開せずお蔵入り。

 

たまに「そういう書き殴りがいい!」みたいな文もあるけど、わたしのそれはそういう“つらつらきらり系”じゃなくて、単純に意味わかんない昔話とか始まっちゃうんだよね。自分の中ではつながってるんだけど、文章になるとものすごく違和感アリなの。おしゃべりも同じく、話してる途中で「これぜんぜん話さなくてよかったな」って思うの。困りた。アムリタ。

 

アムリタってなんだっけ?と思って調べたら、不死の飲み物でした。知ってた?